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ガソリン代は政治の自由にできるものなのか [This and that]

このBlogでは政治的なことはあんまり書きたくないと郵政選挙のころの記事に書いたけれど、あの頃から世の中の状況は悪くなっても良くなることはなく、やはり小泉政治を契機に何かおかしな方向に進んでしまったのだなあと思う。そうした中で、憂うる出来事は山のようにあって、そのことに目を向けないで暮らすこともできず、やはりBlogのテーマとしても取り上げないわけにもいかないのだろうと思う。

昨日のニュースだけど気になったのはこれ。

ガソリン税:一般財源化後に「増税も」…町村官房長官

全くガソリン税は打ち出の小槌だとでもいうのだろうか。
いったいぜんたい、国会で道路特定財源の中からどれだけ道路以外のことに使っていたと指摘されていたにもかかわらず、そのことについて全く精査することもなく、つまりは本当にどこでなんのために使うかも明示されないままに道路族議員のごり押しで参院からの差し戻しによる衆院の数による暴挙で暫定税率が復活したばかりだというのに。

しかも理由が温暖化対策だという。車が温暖化を助長しているからその対策費を車を利用する人たちに負担してもらおう、というわけだ。

この流れで言えば要するに温暖化対策のためには車は使わない方がいいということなのだろう。ならば、車を使うことを前提にした道路建設そのものの計画も見直した方がいいのではないのか?…というような流れの話がネットを中心に言われてもいるが、感情論を抜きにしても確かにそうだよなあと思わざるを得ない。

それよりもだ、彼ら政治家や世のVIPたちは自分たちが乗る車がどのような使われ方をしているかの意識をどれだけ持っているのか、その方が気になる。

何を言いたいかというと、ここで3年前に書いた記事なのだが、要するに高級料亭に横付けしている黒塗りの車たちがほぼ毎日、主の帰りを待って道路上でアイドリングしながら路上駐車しているという状況があり、実のところ今現在もそれは変わらず行われており、相変わらず彼らは地球温暖化なんて事やガソリン垂れ流しなんて事にはこれっぽっちも関心がないのだろうなということが、こういう現状にも如実に表れているのが分かるわけで、そういう自分たちの足下には全く目もくれず、身を正そうともせず、やりたい放題のことをしておきながら、後期高齢者医療制度もそうだけど、国民に対しては受益者負担を強いてのうのうとしているのは本当に腹立たしい。

もちろん、ある程度の受益者負担は当然だと思うし仕方がない面もあるのだが、それにしても今のやり方には全く愛がないし、平等感がない。「痛みに耐えて…」なんて小泉総理は言ったが、言った本人や政権与党の方々は全く何も痛んでないようだから我慢しろと言われてもそろそろ限界だろう。

今日、新青梅街道の小平から武蔵村山方面を走ったけれど、休業してしまったガソリンスタンドを何軒か見た。今回の混乱の影響だろうか。いつまでこうしたことが続くのだろうか。

※ちなみに、去年書いた記事では、ガソリン代がハイオクで137円だったのを「上がりすぎ」と書いていたけれど、今日は軒並みハイオクが168円前後で、1年で30円のアップだ。
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