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さようなら新宿プラザ劇場 [Cinema]

新宿歌舞伎町のランドマークとして大衆演劇の中心として君臨してきた新宿コマ劇場が今年いっぱいで閉館取り壊しとなる。このことは大物演歌歌手の座長公演などが行われてきた老舗劇場だということもあり、テレビなどでも大きなニュースとして伝えられてきたが、その隣の新宿東宝会館も同時に取り壊しになるという話はほとんど伝わってこなかった。

その新宿東宝会館の中にある座席数1,044席を誇る東宝直営の大劇場が新宿プラザ劇場である。1969年にオープンし、今年で39年。自分とほぼ同じ年齢を歩んできたことを初めて知った。

当時はテレビに映画が押され、いわゆる大型映画のいろいろな仕組みが劇場に登場してきた時代だったのだろう。テアトル東京のシネラマもそうだし、シネマスコープ、ビスタビジョン、70mmプリントに立体音響。そうした中で、この新宿プラザ劇場は“D-150(ディメンション150)”という方式の上映形態を取り入れた劇場であった。超大型で中心部が奥に深く湾曲したスクリーンは、まるで投影されている映像に囲まれるかのような臨場感があり、迫力のある映画体験ができるものであった。

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そんな映画館に初めて足を運んだのは76年公開の『キングコング』だった。ジェフ・ブリッジス、ジェシカ・ラング主演、ジョン・ギラーミン監督によるリメイク作品である。年末だったので77年の正月映画という方が時期としてはわかりやすいかもしれない。小学2年生だった当時、それまで東映まんが祭りなどを映画館に見に行くことはあっても、大人が観るような映画に連れて行ってもらうことはまだなかった。当時はロードショー時に日本語吹き替え版上映などもないので、小学校低学年には洋画を観るのはさらにハードルの高いものであったといえるだろう。

にもかかわらずテレビで連日話題作として取り上げられてどうしても観たかったのだろうと思うが、若い頃映画館通いをしていたという母を説き伏せ、姉と3人で冬休み中に出かけたのだった。それがこの新宿プラザ劇場。77年1月5日。西武新宿線沿線に住んでいると、新宿の映画館といえば歌舞伎町の方が近いので歌舞伎町にあるこの劇場を選んだのかもしれない。また美空ひばりが好きな母なので、コマ劇場の隣ということから場所がわかりやすかったのかもしれない。

当日のことはいまだにうっすら記憶に残っている。赤い絨毯のロビーの非日常感。広く天井の高い場内。話題作ということで混雑しており、座れた座席は前から2列目で、見上げたスクリーンの大きさがひときわであった。

字幕だってすべて理解したわけではないのだが、わかりやすいストーリーにとにかく没頭し、最後のコングの消えゆく心臓の音にとにかく哀しい気持ちになったものだった。そしてそれ以後、映画館での映画体験にのめり込んでいくこととなるのだ。映画好きとなった原点がこの映画館なのだ。

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その映画館がなくなってしまう。しかも隣のコマ劇場が年内いっぱいなのに11月7日をもって閉館だという。そのさよなら上映が昨日11月1日より行われ、1週間日替わりで大スクリーンで観たくなる映画がラインナップされた。とはいえ、東宝直営の、しかもかつては有楽座や日比谷映画、そしてその後は日本劇場を頂点とする東宝洋画チェーンの新宿地区No1劇場のラストショートしてはなんとなく寂しさを感じなくもない。

もちろんこれでも今現在上映可能なプリントをかき集めてきたのだろうが、願わくば1作品でもいいから70mmプリントの映画でもあったらなあと残念な気持ちだ。それと唯一『スター・ウォーズ』6作品をロードショー公開した劇場としては、このラストショーの中に『スター・ウォーズ』がないのも寂しい。しかし当然上映作品選定は苦労したことだろう。上映できるプリントの問題も考えれば、こういうイベントを開催してファンに感謝しようとしただけでも嬉しい。
 
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初日の『ベン・ハー』(この作品は実は新宿プラザ劇場では上映したことがないらしい)は観に行けなかったので、2日目の今日、『2001年宇宙の旅』を観に行った。10時からの朝1回目の上映だ。表に掲げられた看板の挨拶が哀しい。そして場内入るが、あれほど豪華に感じた劇場も、さすがに40年近く経ち、古さを感じざるを得ない。しかもサヨナラ上映ということで、もっと混んでいるかと思ったら、それほどでもなく空席も目立ち、なんだかイベントとしての華やいだ雰囲気は全くなくただただ寂しい空気が流れていたような気がする。

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新宿で1,000席を超えるあれだけの大きさの映画館とはいえ、日比谷映画街の有楽座などがなくなった頃と既に時代が変わってしまって、なくなることを惜しむ人たちさえ少なくなってしまったことに、より一層寂しさを感じてしまった。

映画は上映プリントの状態も良くなく、キズも目立ち、なにより既にD-150型式の湾曲したスクリーンは大分前に改装して取り替えられ、少しカーブした平面スクリーンに変わってしまっていた。いったいいつから変わってしまったのだろう。調べたみたら最後にここを訪れたのは『スター・ウォーズ/エピソード1』の先行オールナイト上映の時だった。その時既にスクリーンが変わっていたかどうかは気付かなかったが、99年の7月のことだからもう9年も足を運んでいなかったことになるのか…。懐かしんだところで自分自身もそれだけ出かけていなかったのだ。

しかし思い出の映画館とはいえ、そこを選択せず観に行かなかった理由は今日改めてはっきりしたともいえる。ワンスロープの大きな空間は迫力ある映画を観るには最適なものの、デジタル音響などの細かい設計をされた映画を観るには残響も大きく音場が安定しない。スクリーンはかつては大きなものと感じたが、今ではシネコンでもここより大きなスクリーンが存在するくらいになっていて、かならずしもここでなければということではなくなったしまった。そして上映中の場内も完全に暗くはならず、どうしてもスクリーンがやや明るく浅い色合いになってしまうのもシネコンを体験してしまうと物足りなさを感じてしまうのだ。また階段状の座席配置のせいで座席の前後間隔が広げられず、最近ではかなり狭い部類の座席配置が快適な鑑賞環境とは言えなくなってきているのも事実だ。

そういう意味で、閉館は時代の流れの中である種仕方がなくもあり、避けられないことでもあったのだろう。

今後、隣のコマ劇場と合わせ、このエリアがどうなるかまだ決まってはいないようだ。映画館といっても新宿には既にバルト9やピカデリーなどのシネコンが誕生し、スクリーン数としては飽和状態のような気もするから、もしかすると映画館はもうできないかもしれない。果たしてどうなっていくのだろうか…。

最後に、ここで観た映画を記録からたどってみようと思う。

1977年 キングコング
1982年 レイダース/失われた《聖櫃》
1983年 幻魔大戦
1983年 スター・ウォーズ/ジェダイの復讐
1983年 里見八犬伝
1984年 さよならジュピター
1984年 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説
1985年 007/美しき獲物たち
1985年 早春物語、二代目はクリスチャン
1985年 バック・トゥ・ザ・フューチャー
1987年 アンタッチャブル
1988年 ロジャー・ラビット
1989年 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
1989年 007/消されたライセンス
1990年 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2
1990年 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3
1991年 ゴッドファーザー PART Ⅲ
1991年 バックドラフト
1991年 ターミネーター2
1992年 ドラキュラ
1993年 ア・フュー・グッド・メン
1993年 ジュラシック・パーク
1994年 ライオン・キング
1995年 フォレスト・ガンプ/一期一会
1995年 ダイ・ハード3
1995年 クリムゾン・タイド
1996年 007/ゴールデンアイ
1996年 ツイスター
1996年 戦火の勇気
1997年 インデペンデンス・デイ
1997年 エアフォース・ワン
1999年 スター・ウォーズ/エピソード1 ファントム・メナス
2008年 2001年宇宙の旅

自分が映画好きになった原点の劇場であり、その後多くの話題作を観た劇場であり、ほぼ同じ年齢を歩んできた劇場がなくなるというのは、どんな事情であれやっぱり寂しい…。

ありがとう、新宿プラザ劇場。そしてさようなら。


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コメント 7

u4

私もかつて友人と徹夜してETの初日を観るためにここに並んだ覚えがあります。
最近は映画はシネコンに予約して行くパターンになったので、徹夜で並んで映画を観るなんて考えられませんよね。
by u4 (2008-11-03 18:00) 

MK

u4さん、コメントありがとうございます。
確かに最近は僕もネットでチケットを買ってシネコンに行きます。新宿で、というか都内で映画を観ることがほとんどなくなってしまいました。本当に以前は人気の映画は行列でしたからね。マリオンができた時も延々非常階段の中を並ばされたもので、辟易したものです。

それから記憶違いかもしれませんが、E.T.は松竹洋画系と東急系で公開されたので新宿プラザではなく、歌舞伎町なら向かいのミラノ座での上映でしたよ。
by MK (2008-11-03 21:28) 

吾子

はじめまして、こんばんは、深夜の化石です。
ゴットファーザー観たかったです。

by 吾子 (2008-11-04 05:27) 

u4

MKさんの抜群の記憶に感服しています。
私はこのニュースを見たとき、すっかりあのETを観た場所だと思い込んでいました。やれやれ。
by u4 (2008-11-05 00:10) 

MK

>吾子さん
ゴッドファーザーは僕も洋画の中のベストワンと言ってもいいと思うくらい好きなので観たかったのですが都合が付けず行けませんでした。

>u4さん
映画といえばできるだけ映画館で観たいとずっと思っているので、映画とそれを観た映画館がセットで記憶に残っていることが多いのです。でも最近シネコンで観ていると、どこもあまり個性がないのでどこで観たか忘れてしまうことが多くなりました。年のせいとは思いたくないですが…。今回の記事をきっかけにこのあといくつか映画館の記事でも書いてみようかなあと思っているところです。
by MK (2008-11-05 01:36) 

u4

マリオンの行列も一時は話題の新作映画封切時の風物詩的な趣の時期もありましたが、今は新作を見逃してもすぐにDVDで見られるし、映画に対する価値観があまりに変わったなぁと思います。
by u4 (2008-11-08 14:28) 

D150LOVE

これ迄の観劇メモを見返した所、プラザで見たものとしては
D150での上映は、1984年が最後のようです。
翌1985年では『バックトゥーザF.』第1作が単なる70mm表示になり、「湾曲が軽くなり、端から端までの画面でなかった」と言う書き込みをしていました。以降、無論D-150表示は消えました。
この時代ではデジタル上映など気にする事もなかった筈ですから、D-150の切り捨ては、随分早い見切りだったと思われます。
by D150LOVE (2013-08-12 19:03) 

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