SSブログ

歌舞伎座さよなら公演「十月大歌舞伎」夜の部 [Play]

-編集中-

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

歌舞伎座さよなら公演「九月大歌舞伎」 [Play]

昨日は1日歌舞伎三昧。建て替えによる来年4月までの歌舞伎座さよなら公演「九月大歌舞伎」の昼の部と夜の部を一気に鑑賞してきた。

ここ数年は9月といえば初代中村吉右衛門を偲んで「秀山祭」と銘打った公演であったのだが、今年は「さよなら公演」を前面に出すために、名称としての「秀山祭」は使われなかった。けれどゆかりの演目が並び「秀山祭」みたいなものではある。
 
189.jpg
 
さてまずは昼の部から。

『竜馬がゆく 最後の一日』
テレビ東京の正月時代劇で坂本竜馬を演じて以来、舞台でも「立志篇」「風雲篇」と主演を演じてきた市川染五郎が今回も竜馬役。暗殺の晩を描く今作で一応の完結となるようだ。竜馬とともに殺されてしまう中岡慎太郎が尾上松録。松録はどうも舌足らずな台詞回しが気になっていたのだけれど、最近それほどでもなく感じるのは発声をいろいろと研究でもしたのであろうか。力強く男らしく非常に好感が持てた。ラスト幕切れは客席がシンと静まりかえってしまうほどの二人の熱演。なかなかおもしろかった。あえて難をあげれば場面転換の回数が多すぎかな。回り舞台がしょっちゅう動いている感じで、気持ちが途絶えてしまうような印象もあり、もう少し上手くまとめられないかなあと思った。

『時今也桔梗旗揚』
これが今回「秀山を偲ぶ所縁の狂言」との副題が付いて上演。初代中村吉右衛門の当り役である武智光秀を当代の吉右衛門が演じている。通常「本能寺馬盥の場」から「愛宕山連歌の場」までの上演形態が多いのだが、初代吉右衛門がその前の「饗応の場」から上演していたこともあって、それにならい今回も上記三場の上演である。

「饗応の場」があることで、確かに同じような春永のいじめが続いてなんとなく飽きちゃうような印象もなくはないのだけれど、それよりもそのいじめに耐えに耐え抜く光秀の気持ちの方がふくれあがっていい効果を出しているなと感じた。その光秀を演じる吉右衛門の耐える演技が悲痛さを感じさせ素晴らしい。

もう上演期間の半分を過ぎているのに春永演じる富十郎にプロンプターが付いていたようだ。そのため台詞が途切れ途切れに感じるところもあってやや興ざめ。公演期間前半ならいざ知らず、19日だからねえ。それと富十郎ってよく通るいい声しているのだけど、この芝居には何となく合わない印象。春永の役ってちょっと前なら十七代目市村羽左衛門がよく演じていたみたいだけど確かに似合ってそうだなあ。あとは最近では当代の團十郎が多いみたい。これも良さそう。

『お祭り』
通常は赤坂日枝神社、神田明神のお祭りを題材にした清元の踊りなのだけれど、今回は「さよなら歌舞伎座」。歌舞伎座がある木挽町でのお祭りという形にして、「名残惜木挽の賑」という副題が付いた特別版。

中心となる芸者役の中村芝翫が発熱のためここ数日は息子の中村福助が代役だったということで心配していたのだけれど、なんのアナウンスもなく開幕したのでもしやと思ったら芝翫が舞台にいたのでホッと安心。重い芝居の合間の息抜きとして賑やかに楽しめた。

『河内山』
昼の部長いなあ。ここで最後が幸四郎の「河内山」。うーん、やっぱりなあ…歌舞伎の幸四郎に対しては観る前から偏った見方をついしてしまうのが良くないのかなあ。でもなんとなく台詞の妙な抑揚が聞き取りにくいし、なんだか周りとのアンサンブルができてないというか一人芝居のような空間ができているような気もするし…。

というかそもそも「河内山」って初見なんだけど、どうもそんなにおもしろさを感じなかったなあ。それが演じている幸四郎のせいかどうかは他の役者で見直してみないことには何とも言えないけれど。

続いて夜の部。

『浮世柄比翼稲妻』
今回は「鞘当」と「鈴ヶ森」。まずは「鞘当」。染五郎と松録と中村芝雀。吉原仲之町の華やかな雰囲気を楽しむだけのもの。和事と荒事の歌舞伎風味を味わう。

次の「鈴ヶ森」は幡随院長兵衛の江戸の粋を感じるお芝居。吉右衛門が気っ風のいい親分を気持ちよく演じている感じが良く伝わってきてなかなか面白かったけれど、芝居としては前半がやや長く冗長な印象。

『勧進帳』
今回一番期待していたのがこれ。なにせ幸四郎の弁慶に吉右衛門の富樫、染五郎の義経と、兄弟親子のがっぷり組んだ芝居が堪能できると思ったからだった。ところがダメですわ。何がダメって幸四郎の弁慶。いくら1000回以上演じてこようと、この弁慶はないだろう。どうして自分一人だけで盛り上がっちゃうような妙な芝居をするのだろうか。富樫がいてこその弁慶。相手を意識しての台詞の間とかとか表現があっても良さそうなものなのに、自分一人だけの世界に酔いしれているような感じ。だから四天王とも一体な感じがしないし、ましてや義経との深い信頼に基づいた主従関係というのもあまり感じられなかったのだ。

いやあ、もう幸四郎の演技に誰か何か言えるような幹部もあまりいないだろうし、ちょっとこのままはまずくないかなあ。せっかく吉右衛門の富樫が良かったのになあ。うーん…明らかに今年2月の吉右衛門が演じた弁慶の方が良かったもんなあ。

『松竹梅湯島掛額』
「法界坊」などにも似た喜劇。以外や初代吉右衛門は法界坊やこの作品の紅長のような笑いをとる役も得意としていたようだ。当代の吉右衛門の法界坊は観たことがあって、なかなかに愛嬌があり面白かったけれど、この作品でも軽妙な演技で会場の笑いをとっていた。直前の富樫とは大違いだし、今月は4つの芝居に出演していて吉右衛門も八面六臂の大活躍である。

最後は「櫓のお七」。福助が人形振りで演じる。これもなかなかに悲恋の感情が伝わってきて良かった。

今月は充実の舞台。でも幸四郎がねぇ…。ま、ご贔屓の吉右衛門が良かったからいいとするかな。でもせっかく最近兄弟二人で同じ芝居に出演することが増えてきたので、ぜひ幸四郎にもいいなって思わせて欲しいんだけどなあ。

さて来月は夜の部の「義経千本桜」の通しで吉右衛門が知盛を演じるのでこれも観たいな。今月のような長い連休ないし、観に行く時間がとれるかどうかが問題だなあ。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

『その夜明け、嘘。』 [Play]

いつの間にか“国民的女優”と呼ばれるようになってしまった宮崎あおい主演の舞台『その夜明け、嘘。』を観てきた。脚本、演出は福原充則。

117.jpg

以前『星の王子さま』の舞台に出演した時は、もう少しチケットがとりやすかった(公演中でも買えたかな)気がするのだけど、今回は大河ドラマ『篤姫』効果か、前売り速完売。追加席も直ぐに完売。会場が青山円形劇場というキャパの小さい劇場だということもあるのだろうが、どちらかというとわかりやすそうな芝居でもないのにこの売れゆきは言ってみれば明らかに“宮崎あおい効果”なのだろう。公演自体は事前に知っていたので観に行きたいと思っていたのに、チケット発売日をうっかり見逃していたらもう買えなくて、仕方ないのでオークションで入手した。かなり割高な出費になってしまったが果たしてそれだけの価値はあっただろうか。

その会場の青山円形劇場は、どういう劇場かは知っていたけど今回が初めて。劇場内に入ると想像していたよりも小さいのに驚き。350人ちょっとのキャパだからこんなものなんだろうけれど、最後列でも5列目だから役者の熱気が直接伝わってくる空間で表情も見やすく、これはいいかも。ただ、この円形の空間をうまく生かす演出じゃないと難しいかもしれない。

その舞台。中心に自転車が1台。そして街灯のついた電柱と信号機、道路標識が舞台に倒れて配置されている。事前に若手漫画家が深夜に環状7号線を疾走する…というような漠然とした話は知っていたので、そのための装置だなというのは想像できた。

出演は宮崎あおいの他、吉本菜穂子と六角精児の3人だけ。高校生でデビューして天才漫画家と言われた若手漫画家が最近は人気も低迷してスランプ気味。締め切りも過ぎているのにアイデアが出ず、深夜にアシスタントを連れて逃亡。それを担当編集者が追いかけるというストーリーを軸に、途中立ち寄るファミレスの店長と店員の話だったり、妄想の中の田舎から出てきたパンクロッカー“シド&ナンシー”の物語や、編集者のあきる野とその妻子の話などが絡み合い、それら全ての登場人物を目まぐるしく3人が演じ分けるというもの。

そのスピード感とテンポにぐいぐい引き込まれて、しかもほどよく笑いの要素が盛り込まれとても楽しく見ることができた。西武新宿線沿線に住んでいるものとしては「野方ネタ」などはツボだったし、物語が妄想(漫画家の考えているネタの話)と現実の境界が曖昧なのをのぞけば複雑すぎるということもなかった。

ただ、その曖昧模糊とした散漫なエピソードの積み重ねのまま終わってしまったので、なんとなくメリハリに欠け、後半少し見ていて集中力がそがれてきたのが残念ではある。編集者が漫画家に頑張ってもらわないと生活が成り立たなくなるという話をしたところで、その編集者の妻が「あなたは何するの?頼るだけ?」と問いかけしたのは、なんとなくこの作品のテーマらしきものとして、お、ここから盛り上がるのかな?と思ったのだけど、案外サラッと流してしまったのでちょっと肩すかしな感じだった。

でもそうした点を十分すぎるくらいに補える程、役者のパワーはすごかった。宮崎あおい目当ての観客も多かったと思うが、たぶん観た後は吉本菜穂子と六角精児の二人の余韻の方が強く残っているのではないだろうか。特に吉本菜穂子はよかった。アシスタントの虐げられても漫画家を尊敬してついていこうとする健気な感じや、ナンシーのシドに惚れ込んでいるけど田舎に帰った後のその恋を思い出として封じ込めようとする姿などはとても印象的で心に響く演技だった。

六角精児は舞台の盛り上げ役としてとにかく力強くパワフル。ファミレスの店長役は不条理ながらも忙しく働いて会社と家とTSUTAYAのトライアングルから抜け出せないという現代ビジネスマンの心の悩みを体現していたように思う。

さて宮崎あおいだ。上記二人に比べると線の細さは仕方がない。声の強さも二人には及ばないのだが、身体全体が発するオーラはやはり天性の女優のものだろうか。観客の目を引きつける魅力というのは単に可愛いからということだけではないのだろう。驚いたのは多くの役を瞬時に演じ分ける今回の芝居で、それをキッチリこなせていたということだ。漫画家の毒がありながらも可愛らしい愛嬌のある声や演技から、シドの男っぽさ、編集者の妻や母としての顔、さらに細かい役だけれどもナンシーが田舎に帰ってから働いているバーの従業員でたぶんそのナンシーの友達でもあろうその役で、シドからの手紙を読んでいるナンシーに声をかけたりする時の演技がいかにも田舎の垢抜けない感じの女性の雰囲気になっていて、その替わりっぷりには脱帽だった。あと涙の精という不可思議キャラもよかったかな。

“国民的女優”として注目されても、これからもあまり安っぽく簡易に作られるテレビドラマには出て欲しくないし、できれば映画中心に活躍して、時折こうして舞台にも出たりするといいのではないだろうか。というかもっと舞台での活躍(大劇場のものではなくて、できるだけ今回のようなこじんまりしたステージで)も観てみたいな。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎:夜の部」 [Play]

話題の舞台がやっと見れた。まずは夜の部。

『菊畑』
この演目は初見だが、もうひとつパッとしないお芝居だなあというのが感想。菊の花や背景の紅葉などが季節感を出してはいるけれども、物語として何か深みのあるドラマがあるわけでもなく、また歌舞伎らしい演出があるわけでもなく単調に感じた。3階席だったので周りもよく見えたのだけれど、最初の演目だというのに居眠りしているお客さんが多く見受けられたので、同じように感じる人が多かったということなのかも。

智恵内は幸四郎が初役だということだが、男ぶりや力の強い感じは出ていたようだ。けれど今ひとつピンとこないなあ。物語にピンとこないせいかなあ。吉右衛門は何回も演じているようだけれど、吉右衛門でも同じように感じるのかな。雰囲気は似ているからねえ。

虎蔵の染五郎も牛若丸とその姿を隠している虎蔵との違いがよくわからず、結局そのあたりがこの話を解説なしには理解しがたいものにしていたのかなあとも思えるのだ。とはいえあんまりわかりやすくしようとして下手な解釈を加えるのも嫌だけどね。

いずれにしても、他の役者でまた見てみて、比較してみないことには何とも言い難しって感じであった。

『籠釣瓶花街酔醒』
夜の部期待の演目。生で見るのは2回目。前回は94年歌舞伎座。幸四郎の次郎左衛門、雀右衛門の八ツ橋。他に長兵衛が彦三郎、九重が松江(現・魁春)、栄之丞が梅玉。そして監修を歌右衛門が勤めているのだから時代を感じる。ところがさすがにまだ歌舞伎を見始めてまもない頃だから、あまりよく覚えていないのだ。なので比較のしようもないけれど、その時ちょっと思ったのは、幸四郎は田舎の商人にあんまり見えなかったことかなあ。どことなくカッチリしすぎていたので縁切りがあんまりかわいそうに見えなかった記憶があるのだ。

さて今回。長兵衛を幸四郎が演じているのだけれど、この方が似合うね。そして、吉右衛門の次郎左衛門。田舎っぽさはやっぱり少し足りない気がしたけれど、人の良さは凄くよく出ていて、見染めの場面から釘付けだった。話を知っているからということもあるけれど、その見染めのところで既に行く末を思ってジワッときてしまった。それ程、この場面で「ああ、ついに運命の歯車がまわってしまったんだなあ」と思うくらい次郎左衛門に感情移入できたのだ。

だからこその縁切りの場面では、もう涙なくして見れないくらいに次郎左衛門がかわいそうで仕方がなく感じられ、哀れを誘うのだ。

そしてその序幕からの人の良さから縁切りでの哀れな姿を経ることで、大詰めでの狂気への豹変ぶりが際だって見え、怖い場面だけれども美しく、しかも次郎左衛門の気持ちがそこに至る感情までも理解できなくもないような、そんな気にさせるのだ。いやそりゃ、常識的にはどんな理由だって殺人はよくないけどさ。でもそれを刀の妖気によって引き起こされたことにすることで、納得させてしまうのだ。この場の吉右衛門の凄みはとにかく迫力があった。いややっぱり吉右衛門はいいですな。

さて、実は福助の八ツ橋には少し不安があった。もともとキンキンの声で話す癖があり、少し品がないように見えることが多いのと、5月の演舞場もイマイチに感じられたからだ。ところが、これが意外に良かった。見染めでの笑みも思った程過剰にならず、話方も抑え気味にしていたからか、語尾がキンキンとひっくり返る癖があまり出ずに、聞き苦しくなく、下品になることなく演じられていたように思う。そして時折、気のせいかその声が歌右衛門に似ているような気もした。意識していたのだろうか。

いずれにしても満足のいく演目だった。

『鬼揃紅葉狩』
充実はしても、暗い気分で劇場を後にするのは何なので、最後にこうした華やいだ演目がくるのは悪くない。以前見た時は、94年12月。猿之助、勘九郎、玉三郎に猿之助一門の若手が加わって、もっと派手な立ち回りの演出だった。

けれど今回は、それ程派手ではなかったけれど、男山八幡の末社の神が子役たちで愛らしく、ほのぼのさせる、これも歌舞伎の世界らしい出し物となったと思う。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

国立劇場開場40周年記念・文楽9月公演『通し狂言・仮名手本忠臣蔵』 [Play]

人形浄瑠璃を生で見るのは大学の時以来だから、実に10ウン年ぶりである。本日久しぶりに堪能。

今月は『通し狂言・仮名手本忠臣蔵』である。十一段目までを3部に分けての上演で、観たのは第1部。大序から四段目まで。

久しぶりだし寝ちゃうかなあと思ったけど、寝ずに最後まで観ることができた。いや、面白い。満足である。

以前も思ったが、やっぱり観ると不思議なのは、人形を3人で動かしているのに、観てる内にだんだんとその動かしている人たちはあんまり気にならなくなっていってしまって、本当に人形に魂が入って演技しているかのように思えてくるということだ。

今回特にそれを感じたのは四段目の「塩谷判官切腹の段」と「城明渡しの段」だった。ここは、昔から「通さん場」といって、開演中の客席への出入りを禁止するという場面で、今回もそれに倣って上演されたのだけれど、確かにその張りつめた切腹の場面は、ワサワサした状態で観ることができない厳かな雰囲気で、塩谷判官の悔しさと家中のものの悲しさが伝わってきて、思わずグッときてしまった。

そして「城明渡しの段」での大星由良助の判官の心持ちを察しての覚悟の姿は、その後の討ち入りへと続く決意がみなぎっているようで、これもまた、ただただ見入るばかりであった。

歌舞伎もいいけど、人形浄瑠璃もたまにはいいかな。

さて、来月はほぼ同じ話を(とはいってもこちらは新歌舞伎の『元禄忠臣蔵』だけど)吉右衛門の大石内蔵助で観ることができる。こちらも楽しみ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

「歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎」補足…「寺子屋」 [Play]

先ほど「歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎」の記事を書いていて、「寺子屋」っていつ見たかなあ、と過去の観劇記録をちょこっと調べてみた。そうしたら何と1回しか見ていなかった。もっと見たことあったような気がしていたけれど、多分テレビ中継だったんだね。

さてその唯一劇場で見た「寺子屋」は、94年12月の歌舞伎座だった。

この年の12月公演は結構話題だったはずだ。なんといっても普段ほとんど同じ舞台に立たない幹部クラスの役者が揃ったからだ。孤高の芝居を続けていた猿之助に菊五郎、勘九郎(現・勘三郎)、玉三郎、それに福助、左団次などだ。

で、その時の「寺子屋」の配役は以下の通り。

  松王丸:猿之助
  武部源蔵:勘九郎
  春藤玄蕃:段四郎
  園生の前:玉三郎
  戸浪:福助
  千代:菊五郎

結構豪勢じゃないか。いやあ、あんまり意識しないでいいのを見ていたってことなのかな。しかも不思議な縁でこの時は「鬼揃紅葉狩」も演目としてあったんだよね。こちらには猿之助、勘九郎、玉三郎に猿之助一門の若手が総出演だった。

さてさて、その時の筋書を見ると、過去の「寺子屋」の上演記録が載っているのだが、吉右衛門と幸四郎の「寺子屋」での共演は昭和63年(1988年)2月の歌舞伎座以来ということになるようだ。(あ、でもこの筋書自体が94年のものだから、それ以降に共演あったら載ってないので、そこらへんは不明なんだけど…)

吉右衛門は松王丸も何度か演じているし、見てみたい気もするけれど、ニンとしては源蔵なんだろうね。というか幸四郎の源蔵は合わなそうだしなあ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

今頃「新橋演舞場 六月大歌舞伎」&「歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎」 [Play]

歌舞伎役者では吉右衛門さんが一番好きだとこの記事で書いたけれど、その時の話題の「国立劇場開場40周年記念公演『元禄忠臣蔵』」も、3ヶ月をどこで分けているかが発表になっている。

ちなみに吉右衛門が出演する10月はこちら

また、その時話題にした5月の新橋演舞場公演。仕事が忙しかったのでギリギリまで調整が付かず、こりゃあ見に行けないかなあと思っていたら、何とかなって公演も終わりに近付いたある日、ようやっと見に行けた。見たのは昼の部。演目は「ひと夜」「寿式三番叟」「夏祭浪花鑑」だ。

この中で吉右衛門は「夏祭浪花鑑」に団七九郎兵衛役で出演。ここのところ「夏祭」といえば勘三郎のものばかり見ていたので、凄く新鮮だった。団七の気持ちが良く伝わってきたし、長町裏の義平次の殺しの場面の見得の数々などがやはりピシッと決まって様になり、とても美しく歌舞伎らしい。これにはお相手の義平次を演じた歌六の好演もあったればこそだろう。憎々しさがひときわだっていたように思う。

でも福助のお辰は良くなかったな。きっぷの良さよりもイヤらしさがでていて、自身の解釈なのかも知れないが、なんとなく頷けない感じだ。

他に「三番叟」での染五郎と亀治郎の踊りも凄かったし、「ひと夜」は朝一番で見るような芝居ではなかったようにも思うけれど、珍しい演目で面白く見れたしまあまあかな。

そしてその時の筋書に9月の歌舞伎座では初代吉右衛門生誕百二十年を記念した「秀山祭」があると書かれていて、これもまた楽しみだなあと、思っていたら、その9月が大変なことになったようだ。

既に松竹のサイトでも演目と役者が発表になっているが、いやもう言葉にならない。

**********
【昼の部】
・菅原伝授手習鑑 車引
     梅王丸:松緑
     桜丸:亀治郎
     松王丸:染五郎

・双蝶々曲輪日記 引窓
     南与兵衛後に南方十次兵衛:吉右衛門
     女房お早:芝雀
     平岡丹平:歌昇
     三原伝造:信二郎
     母お幸:吉之丞
     濡髪長五郎:富十郎

・六歌仙容彩
   業平小町
     小野小町:雀右衛門
     在原業平:梅玉
   文屋
     文屋康秀:染五郎

・菅原伝授手習鑑 寺子屋
     松王丸:幸四郎
     武部源蔵:吉右衛門
     春藤玄蕃:段四郎
     園生の前:福助
     戸浪:魁春
     千代:芝翫

【夜の部】
・鬼一法眼三略巻 菊畑
     皆鶴姫実は鬼三太:幸四郎
     虎蔵実は牛若丸:染五郎
     皆鶴姫:芝雀
     笠原湛海:歌六
     吉岡鬼一法眼:左團次

・籠釣瓶花街酔醒
     佐野次郎左衛門:吉右衛門
     八ツ橋:福助
     立花屋女房おきつ:東蔵
     下男治六:歌昇
     九重:芝雀
     繁山栄之丞:梅玉
     立花屋長兵衛:幸四郎

・鬼揃紅葉狩
     更科の前実は戸隠山の鬼女:染五郎
     平維茂:信二郎

**********

どうだろう。まず演目が近頃の歌舞伎座ではあまり見られないくらい歌舞伎らしい演目が並んだようにも思う。そして役者の層もとっても厚くなって見応えのありそうな予感がするのだ。

なにより誰もが口を揃えて話題にするのは吉右衛門と幸四郎の兄弟での共演だろう。ここ何年も共演がなかったこともあって不仲説がまことしやかに流れたりもしていて、それはそれは残念な気がしていたのだ。事実はわからない。本当に何か諍いがあって、同じ舞台には立ちたくないということもあったのかも知れない。けれど今の歌舞伎界で重厚な役を演じられる脂ののった兄弟役者だ。今回のような演目ではやはりガチに演じてもらいたいと思うものだが、それが実現したことが何より嬉しい。本当は「引窓」でも十次兵衛と濡髪でガチンコして欲しいが(昔NHKで二人の共演を見たことがあったっけ)、「寺子屋」だけでも充分と言えるだろう。

ま、個人的には歌舞伎の幸四郎は実はあんまり好きではないのだけどね。「アマデウス」なんかを見ると凄い俳優だなあと思う。本当に心底そう思う。けれど歌舞伎の芝居では何となくどうもなにか頭でっかちな演劇臭さが匂って歌舞伎独特のおおらかさや人情味がないような気がするから。

父親の演じた「鬼平犯科帳」が池波正太郎の指名で吉右衛門に継がれたのもそういう人情味の部分で幸四郎には欠けるところがあるのかな、なんて思ったりして。

そういえば話しは飛ぶけれど、少し前の「スマステーション」で2週続けて幸四郎がゲストに出演した時、弟の吉右衛門の話題が全く出てこなかったのはどういうことなのだろう。歌舞伎一家としての話が出ても、兄弟の話がそこに含まれないのは何となく解せない気がしたんだよなあ。

ま、とにかく共演が決まったのだ。お互いがお互いを過剰に意識しすぎてかみ合わないような芝居にだけはならないことを祈りたい。もしそんなことになったらそれこそ二度と共演なんてなくなりそうだから。そうなったら歌舞伎界には不幸なことだもんね。

チケット確保をどうしようかなあ…。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

国立劇場開場40周年記念公演『元禄忠臣蔵』 [Play]

歌舞伎役者でお気に入りといえば中村吉右衛門さん。
ドラマに出ている吉右衛門もいいのだけれど、歌舞伎の舞台での吉右衛門がいいのだ。

歌舞伎を見始めて初期の頃に、特に意識せず「熊谷陣屋」や「俊寛」などの、あとになって劇評を読んだら相当評価の高かった公演を見ていて、それに主演していたのが吉右衛門だった。

最近は、吉右衛門劇団復活かと言われている5月の新橋演舞場などでも期待が持てるし、かなり歌舞伎に力を入れはじめているのが感じられて非常に嬉しいなあと思っていたところ、昨日のニュースは輪をかけて「おおっ」と思わせられるものだった。

「元禄忠臣蔵」初の通し上演 国立劇場40周年記念

まだ国立劇場のサイトなどでも紹介されていないので、詳細(他の主演者や、3ヶ月の話しの区切りがどこなのか、など)は今のところ不明。でもこれは面白い企画だなあ。

吉右衛門、幸四郎の兄弟が仲があまりよろしくないとも言われているのだけれど、以前は「引窓」なんかでも共演していたと思うんだよね。今回は月が違うので同じ舞台に立つわけではないようだけれど、同じ役だしやっぱり藤十郎よりも兄弟を意識しちゃうのかな。

これは期待できる舞台ですな。こういうのは本当に国立劇場しか企画できないよなあ。あとは脇を固める役者さんの厚みが3ヶ月でどこかに偏りがないようにして欲しいな。

とりあえず真山青果の本を読んで期待に胸負らませておこう。

元禄忠臣蔵〈上〉

元禄忠臣蔵〈上〉

  • 作者: 真山 青果
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: 文庫


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

コクーン歌舞伎『東海道四谷怪談』 [Play]

またまた見てしまった『東海道四谷怪談』。前回は一昨年の夏、歌舞伎座での公演。そのことはこの記事でも書いた。そしてその前がコクーン歌舞伎の第1回公演だった。そのコクーンで12年ぶりに再演となった。

今回見たのは「南番」と銘打ったもので、これは通常の歌舞伎公演で演じられるものを串田和美が演出したものだ。一方「北番」呼ばれる演目もあり、これは普段上演されることの少ない後半の「三角屋敷の場」や「小仏小平住居の場」も描かれていて、実験的な演出もしているという。こちらも串田和美演出。

さて、感想。

歌舞伎は見たことがあるけれども、コクーン歌舞伎は初めてという連れが一緒だった。芝居好きでいろいろ大劇場から小劇場まで足を運んでいるようなのだが、その連れは十分満足していたようだった。で、自分はというと、正直言って第1回公演の方が面白かったかな。

串田演出をどうこう言うつもりはないけれど、どうなんだろう? そろそろその加減の見直しをしてもいいのかなあと思った。要するに、ここでやりたいことはなんなのか、それが良く伝わってこないということなのだ。

歌舞伎座や国立劇場は敷居が高い。けれど、実はとっても面白いお芝居がいっぱいあるんだよ、という歌舞伎にあまりなじみのないお客さんに、歌舞伎というもののとっかかりとして触れてもらいたい、というのがコクーン歌舞伎であるとするならば、あまり過剰な普段の歌舞伎から離れていくような演出はどうなんだろうと思うのだ。

もちろん、そういったことだけではなく、固定観念としてある“歌舞伎”というものだけじゃなく、何でもできるんだよということを試すのがコクーン歌舞伎だというのならそれはそれでもいいと思うけれど、今回の「南番」について言えば、どうもその辺がどっちつかずなような気がしたのだ。

第1回の時と比べても仕方ないけれど、役者の層も薄いし、いくら何でも主要キャスト以外が弱すぎて、もっとかっちり脇も固めないとなんとなく薄っぺらい印象にもなってしまう気がするし、美術も考えているようでただの手抜きっぽくも見えて、これも安普請のような感じを受けた。

猿之助のスーパー歌舞伎や昨年の蜷川演出の「十二夜」、そして現在も上演中の三谷幸喜演出PARCO歌舞伎「決闘高田馬場」など、新しい試みが色々でてきている。そのことは歌舞伎の世界では今に始まったことではなくて、三島由紀夫だって歌舞伎脚本を書いたくらいだし、そうやって常に時代を取り込んでいくのも歌舞伎なんだとは思う。コクーン歌舞伎を始め平成中村座など、勘三郎のおこなっていることもそうした流れの一環なんだと興味を持ってみてきたけれども、今回の公演内容を見るとちょっと寂しくなったな。上滑りしているような感じだ。

もっと面白くてもっと怖くて、もっとお岩さんの悲しさを感じる四谷怪談にできたはずなのに、表面的な物語になってしまって、人物の感情など芝居の奥底の部分が伝わってこなかったのが残念。

さて、四谷怪談は、歌舞伎以外にも1995年銀座セゾン劇場の平幹二朗円演出・主演の『四谷怪談』や2001年シアターコクーンでの蜷川幸雄演出『四谷怪談』なども見ているのだが、いずれも「三角屋敷」などをきっちり描いていた。歌舞伎でも上演時間の問題はあるかもしれないけれど、そのへんをちゃんと割愛しない通し上演というものをやってくれたらなあと思う。あと国立劇場じゃないと無理かもしれないけれど、初演の時のように『仮名手本忠臣蔵』と織り交ぜて通し上演するとか。どうせ実験的なことをするなら、こういうことを手がけて欲しいなあと思うのだ。


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(1) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。